全日本プロレス、そしてプロレスリング・ノア(NOAH)の黄金期を支えた大型レスラー・森嶋猛。
圧倒的な体格と怪獣のようなファイトスタイルで多くのファンを魅了しましたが、突然の引退やその後の事件報道など、波乱に満ちた人生を歩んできた人物でもあります。
この記事では、そんな森嶋猛さんの現役時代から引退・復帰宣言、そして現在に至るまでの経歴をわかりやすくまとめました。
森嶋猛の人物像と歴史
森嶋猛(もりしま・たけし)は1978年10月15日生まれ、東京都江戸川区出身。
身長190cm・体重125kgを超える圧倒的な体格を持ち、まさに「怪獣」という呼び名がぴったりのレスラーでした。
高校時代から柔道で鍛えた身体を活かし、1998年にプロレスリング・ノアの前身である全日本プロレスに入門。師匠である田上明や三沢光晴の薫陶を受け、2000年のNOAH旗揚げとともに団体の中心選手として台頭していきます。
その後、鈴木鼓太郎や潮崎豪らとともにノアの中堅〜主力世代を形成し、団体の主力レスラーとして長年活躍。
恵まれた体格と豪快な技の数々で、観客からは「破壊神」「キングモンスター」と呼ばれ、どの試合でも会場を沸かせる存在でした。
精神的にも熱い男で、試合後には感情をむき出しにすることも多く、いわゆる“昭和魂”を現代に残したようなタイプのレスラーとして知られていました。
ノア・WWEについて
森嶋はノアのヘビー級部門を長く支えた功労者です。
GHCヘビー級王座を複数回獲得し、団体のエースとして数々の激闘を繰り広げました。
2000年代後半には、海外団体「リング・オブ・オナー(ROH)」にも参戦し、アメリカでもその存在感を発揮。外国人レスラー相手に豪快な試合を見せ、「世界が認めた日本人ヘビー級」として高く評価されました。
一方で、WWEとの直接的な契約は実現しませんでしたが、ファンの間では「もしWWEに行っていたら?」という“もしも”の議論がたびたび交わされるほどのポテンシャルを持っていた選手でもあります。
それほどまでに、彼の体格とインパクトは世界水準だったのです。

戦歴はどうだった?
森嶋猛の戦績を語る上で外せないのが、GHCヘビー級王座の戴冠です。
ノア黄金期の中で複数回王座を獲得し、団体を代表するエースのひとりとして長く君臨。特に2008年〜2012年にかけてはトップ戦線の常連であり、丸藤正道や小橋建太らとの名勝負は今なおファンの記憶に残っています。
また、海外ROHでの活躍も見逃せません。
2007年にはROH世界王座を奪取し、日本人としては数少ない快挙を達成。
アメリカの観客の前でも堂々たるファイトを見せつけ、「Beast from Japan(日本の野獣)」という異名を獲得しました。
ただ、ハードな試合スタイルの代償も大きく、慢性的な腰や膝の故障に悩まされるようになります。
体格ゆえの負担と、過密スケジュールによる疲労が重なり、次第にコンディションは悪化。
晩年の試合では動きに精彩を欠く場面も増え、ファンの間でも「無理をしているのでは」と心配されていました。
使用していた入場曲について
森嶋猛の入場は、とにかく“圧”でした。
重低音が響くような曲調に合わせて、ゆっくりとリングに上がるその姿はまさに怪獣のよう。
観客席に現れるだけで空気が変わる――そんな存在感を放っていました。
入場曲の詳細は公式に明かされていませんが、曲の印象は「低音のギターとドラムが鳴り響くヘビーなリズム」。
試合前から相手を威圧するような演出は、彼のキャラクターと完璧にマッチしていました。
派手なパフォーマンスではなく、静かな迫力で観客を黙らせるタイプの入場――それが森嶋猛スタイルです。
拳王との関係について
拳王(けんおう)選手と森嶋猛は、直接的な長期抗争やタッグチームを組んでいたわけではありませんが、同じノア所属として活動時期が重なっています。
ファンの間では“次世代のノアを背負う存在”として拳王が台頭してきたころ、かつての森嶋猛と比較されることも多く、「新世代の怪獣」として拳王が語られることもありました。
どちらも激しい気性と強い意志を持ち、団体への忠誠心が高いタイプ。
その姿勢が重なる部分が多く、ファンの間では「拳王は森嶋の後継的存在」と言われることもあります。
直接の因縁は薄いものの、“魂の系譜”という意味で共通点を感じる選手です。
タクシー内で事件を起こし逮捕
2018年11月、森嶋猛は東京都内でタクシー運転手への暴行容疑で逮捕されました。
報道によると、乗車中にトラブルとなり、路上で運転手の顔を殴ったとして現行犯逮捕。
被害者が頬骨を骨折する重傷を負ったと伝えられています。
当時、森嶋は2018年秋の自主興行「GENESIS ~森嶋猛 帰還~」の開催を中止した直後でした。
体調不良やケガ、さらに興行中止のプレッシャーなど、精神的にも追い込まれていた可能性が高いとされています。
事件後、森嶋は活動を自粛。
復帰を目指して動いていた矢先の出来事だったため、ファンの間には大きな衝撃と悲しみが広がりました。
この一件が、彼のレスラー人生の“事実上の幕引き”となってしまったのです。
引退理由:糖尿病が原因か?
森嶋猛が最初に引退を表明したのは2015年4月のことでした。
本人は当時、「体調不良と糖尿病の悪化」を理由に挙げています。
長年にわたる過酷な試合スケジュールと無理な減量、体重変動が重なり、血糖値や肝機能に大きな負担がかかっていたとみられます。
引退会見では「思うような動きができなくなった」「リングに立つ責任を果たせない」と語り、涙ながらに現役生活にピリオドを打ちました。
その後、引退試合の実施が予定されていたものの、体調の悪化により中止。
結果的に、ファンにとっては「突然の終わり」となってしまいました。
レスラーとしての体力の限界に加え、糖尿病という慢性的な病気と闘っていたことが、引退の大きな要因であったのは間違いないでしょう。
無理を重ねてきたストイックな姿勢こそが、彼の強さであり、同時に彼を苦しめたものでもありました。

引退後、復帰はした?
引退から3年後の2018年7月。
森嶋猛は突如として後楽園ホールのリングに姿を現し、ファンの前で「またプロレスをやりたい」と復帰を宣言しました。
その瞬間、会場は大歓声。かつての王者の帰還に、多くのファンが涙を流しました。
しかし、同年10月に予定されていた復帰戦「GENESIS~森嶋猛 帰還~」は直前で中止となります。
ランニング中に膝の炎症が悪化し、「化膿性関節炎」と診断されたためでした。
これにより、待望の復帰戦は幻となり、その後のリング復帰は実現しないまま時が過ぎていきます。
そして、数週間後のタクシー暴行事件――。
再起への道は完全に閉ざされ、森嶋猛という名前は再び沈黙しました。
森嶋猛の現在について要点まとめ
2025年現在、森嶋猛は表立ったリング活動を行っていません。
SNSなどでの発信も少なく、静かな生活を送っているとみられます。
一部ではトレーナー業や講演活動の噂もありますが、公式な情報はほとんど出ていません。
ただ、彼のブログ「5XL」ではかつて、プロレスへの愛情や人生観を語る文章も投稿されており、「またいつかリングに上がりたい」という思いは消えていないようでした。
完全復帰は難しいかもしれませんが、もし再びその姿を見られる日が来れば、ファンにとってこれ以上の喜びはないでしょう。
【まとめ】波乱万丈のレスラー人生を生きた“怪獣”
森嶋猛のキャリアは、まさに波乱万丈そのもの。
全日本→ノアの流れを受け継ぎ、日本プロレス界のヘビー級を支えた功績は計り知れません。
しかし同時に、糖尿病や怪我、事件など、さまざまな試練に見舞われた人生でもありました。
彼が残した名勝負、そして魂のこもったファイトは、今もなお多くのファンの記憶に残っています。


