横山プリンの現在は?かつてやすしとコンビを組んだ男は今何をしている?

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雑学

横山プリン、本名・清水 健雄(しみず たけお)、1938年5月20日生まれ、滋賀県大津市出身。
大学は 立命館大学 経営学部で卒業後、サラリーマンを経験、やがてお笑い・芸能の世界に転身。
芸名「横山プリン」は師匠である 横山ノック のもとで、「横山たかし」などの芸名を経て改名した経緯があります。
芸人としての土台を築いた後、タレント・放送作家・フリーライターとしてマルチに活動。代表的な出演・執筆活動が紹介されており、バラエティ番組の台本や構成も手掛けていたようです。
彼の芸風は、上方芸能(関西お笑い)の流れを汲み、破天荒かつ軽快なトークを武器にしていたとされ、「プリン師匠」という称号で親しまれました。

年齢を考慮すると、2025年時点で87歳となることから、精力的な第一線活動というよりは、過去の功績を振り返る場面や、ゲスト出演・イベント出演などが中心となっているようです。
一方で「完全引退」という公的な発表は確認できず、芸能界や演芸界との関わりを残している情報も散見されます。

SNS上の画像を探してみた

この記事では、以下リンク先の投稿も含めて、当時の姿を探しました。


当時の見た目は、一言でいえば“昭和バラエティの申し子”のような存在感でした。
舞台に立つときの彼は、丸みを帯びた体型に愛嬌のある表情、少しクセのある七三分けやパーマ気味の髪型が特徴で、どこか庶民的で親しみやすい雰囲気をまとっていました。
スーツ姿のときもあれば、派手な色のジャケットや蝶ネクタイを合わせた“ステージ仕様”の格好も多く、関西芸人らしい明るさと華やかさを感じさせました。
テレビに映ると、その柔らかな笑顔と独特のテンポで場を和ませ、同時にツッコミでは目を見開いて表情を大きく変えるなど、顔芸でも印象を残しています。
当時の芸能界では、やすし・きよしのようなキレ味のある漫才師が多い中、横山プリンさんは“ちょっと抜けていて憎めない兄さん”というポジション。
見た目からも、どこか懐かしい人情味とユーモアを感じさせる存在でした。

横山やすしと2度コンビを組んだ

横山プリンさん、実は横山やすしと「2度」コンビを組んだとされています。
やすしの漫才遍歴をたどると、“横山やすし・たかし(横山プリン)”という組み合わせが初期にあり、その後別の相方(レツゴー正児等)に移行したという説明が複数の文献・ブログで言及されています。
ただし、具体的な結成時期・活動期間・映像アーカイブなどは明確に整理されておらず、「幻のコンビ」「伝説」といった語で語られることもあります。
この「2度」という回数についても、厳密な史料が少ないため、ファンや研究者の間では“おぼろげな記憶”として語られることが多いですが、重要なポイントとして押さえておきたい事実です。

やすしとのコンビ活動を経て、プリンはソロ活動へと軸足を移し、タレント・司会・放送作家としての道を歩んでいったと考えられます。

横山プリン&キャッシーについて

プリンとともに名前が語られる人物に、 キャッシー中島(通称キャッシー)がいます。二人が共演し、司会やトーク番組を担当していたという記録があります。

この共演関係は、プリンが漫才師としての第一線を後にした後、タレント/司会としての地位を確立していく過程と重なります。視聴者との対話・掛け合いを重視した番組が中心でした。
例えば、当時の日曜昼のバラエティ番組において、「プリン&キャッシー」の名称で出演していたという記憶を、演芸ファンのブログ等で確認できます。

このコンビは、プリンの芸人出身というキャラクターと、キャッシーの軽快な進行力が合わさり、昭和〜平成期の関西系バラエティの“顔”の一つとして親しまれていたとされています。
その意味で、プリンのキャリア全体を語る上で「プリン&キャッシー」のパートは重要な転機となります。

パクパクコンテストって?

「パクパクコンテスト」は、昭和の関西を代表するバラエティ番組のひとつでした。舞台は大阪・千里セルシー。

千里セルシー(Wikipediaより)

休日になると家族連れや学生が集まり、ステージの上では横山プリンさんが軽妙なトークで観客を巻き込みながら進行していました。食べることをテーマにしたコンテスト形式の番組でしたが、単なる大食い企画ではなく、プリンらしい温かさと笑いが溢れる空間だったのです。

彼の司会ぶりはまさに職人芸でした。参加者が食べる姿を見てテンポよくコメントを入れ、少し失敗しても「まぁええやん、これも人生や」と笑いに変える。人を傷つけず、会場全体をやさしく包み込むその言葉が、観客の心を掴んでいました。

派手な衣装に丸みのある体型、そして柔らかな笑顔。その見た目も含めて、“人情と笑いの象徴”でした。「パクパクコンテスト」は、彼の芸と人柄が最も自然に融合した舞台であり、昭和のテレビが持っていたあたたかい時代の記憶を今に残しています。

現在の活躍まとめ

横山プリンは現役で活動中!

現在、横山プリンさんは「完全引退」という公式声明は出しておらず、断続的に演芸イベントやトークショーに顔を出していることが確認されています。例えば、2016年4月には大阪・天満天神繁昌亭にて「まいど!おいど!横山プリン」と銘打たれたイベント出演がありました。

また、SNS上でも「数十年ぶりに公の場に」「プリン師匠お元気そう」などの投稿が見られ、完全に世間から姿を消しているというわけではありません。

活動形態としては以下のように整理できます:

  • イベント出演:落語会、対談トークショー、演芸会など。
  • メディア露出:テレビレギュラーではないものの、番組やネット配信、インタビューなどで登場。
  • 裏方活動:放送作家・構成作家として、以前培った経験を活かしてテレビ・ラジオ番組の企画・台本裏方に関わっている可能性。
  • 記録・懐古展的な語り部として:上方芸能史や昭和お笑い史の証人として、若手芸人・研究者からインタビューを受ける場面も。

ただし、活動頻度は高くなく、「レギュラー出演」「テレビ番組の常駐タレント」といった形ではないのが現状です。高齢ということもあり、体調・移動・出演条件の制限は想定されますが、それでも「表舞台・裏舞台ともに関わりを絶っていない」という点で“現役”と称して差し支えないでしょう。